「忙しい」の質

どうもここ数週間忙しい。NZに来て以来こんなに忙しかったことはない。

今までウチのチームははっきり言っていったんリリースをしてしまうと、次のBRD(要件定義)が来るまで間が空いたりして、どちらかというとヒマなことが多かった。

それがどうも最近忙しい。唯一のパーマネント(正社員)だったチームリーダーが家族の事情で退職して、その代わりの人が採用されるまでの期間が長かったり、着任してもしばらくは様子が飲み込めるまで戦力にならなかったり、1週間休暇を取る同僚がいたりしたり、ふだん3か月に1回のリリースが、たまたま今は1か月の間をおいて2回続いていたりするのが原因だろうと思うのだけれど、まあそれはいい。

暇なときには、一つのタスクをじっくり調べながらできるのだけれど、こう忙しいと、一つのタスクの内容を理解するまもなく、別のことを他の人に言われたりする。そういうときに限って、どうでもいいような会議に出なければならなかったりして、締め切りを過ぎた仕事を抱えたまま、昼飯を食べ損ねて夕方になってしまったりしている。

どうもいろいろなことがマルチタスクで進むと、すぐCPU100%になってしまい、切り替えるのが苦手だ。日本で仕事をしているときにはよくそういうことはあったのだけれど、そういう生活から離れて長くなり、忙しさに対する耐性が失われてしまったようだ。

ぼくらは週40時間を上限として働いた時間分給料をもらえるコントラクターなのだが、40時間以上働いてしまって、うっかりそのとおりタイムシートを出すと、「何で」とか聞かれて、面倒なことになる。だからまずは時間内で終わらせるのが大原則で、遅くなったときにはなるべく週内で他の日に早く帰るようにしている。

考えてみると、日本では仕事をたくさん抱えても、どうせ残業して片づければいいや、というところがあったかもしれない。NZは本当に残業する人が少ない。6時になるとフロアの最終退出者になってしまうことも珍しくない。6時半からは電車も本数が減ってしまい、車内も空いていて寂しくなる。

終電まで残業する忙しさと、時間内に終わらせなければならない忙しさとは少し質が違う気がした。